第67回特別企画展 老松山 壱岐安国寺 展

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第67回特別企画展 老松山壱岐安国寺展

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・壱岐市芦辺町深江栄触にある臨済宗大徳寺派の壱岐安国寺は壱岐島で最も古い寺院のひとつです。
 安国寺は山号を老松山とし、壱岐安国海印禅寺とも呼ばれます。その名の通り、今から700年前の南北朝時代以前は、海印寺というお寺でした。
・2022年3月、応永年間の壱岐安国寺文書(足利義満関連文書)3件が他の中世文書8件と併せて「壱岐安国寺の中世文書」としてあらためて長崎県文化財に指定されました。
・壱岐安国寺開山無隠元晦は姓は大蔵、出生は弘安6年(1283)、生地は田川郡弓削田村と云われます。壱岐安国寺のほか、豊前興国寺と筑前幻住庵の開山の祖でもあります。
・壱岐安国寺第二十四世観翁妙音は、諱を妙音、字を宗音、号を白華、白華和尚と親しまれた幕末の名物和尚です。
・白華和尚は、博多聖福寺の名僧仙厓義梵とその弟子湛元と親交が深かったといわれます。
・安国寺の獅子窟の放光臺には本尊地蔵菩薩坐像と、その両脇を掌善、掌悪童子像が鎮座しています。
 このふたつの像の台座裏面には、二躯の像が猪熊与二郎重元の作で、永禄8年(1565)に波多氏女から安国寺の当時の第十二世住持以三禅益に寄進された旨が墨書されます。
 この永禄8年は、壱岐国にとって激動の年でした。
・《考察》本稿では、壱岐安国寺設置年代を考察するにあたって、おおよそ1350年を境とした従来の2説を軸に、南北朝時代の壱岐国と周辺国の情勢、そして不明瞭であった当時の壱岐国守護に着目していきます。

【目次】
 ◇老松山壱岐安国寺
 ◇壱岐安国寺の伽藍と塔頭
 ◇海印寺をさぐる
 ◇壱岐安国寺を開いた無隠元晦 その生涯
 ◇足利尊氏・直義と夢窓疎石の全国六十六カ国二島安国寺・利生塔の設置
 ◇安国寺・利生塔の設立意義と消長
 ◇壱岐安国寺の中世文書
 ◇江戸時代の壱岐安国寺経営
 ◇明治時代以降の壱岐安国寺
 ◇壱岐安国寺の再興とその後
 ◇白華和尚のやきもの
 ◇安国寺第二十四世観翁妙音(白華和尚)のこと
 ◇白華和尚と仙厓さん
 ◇波多氏と掌善・掌悪童子の物語り
 ◇《考察》壱岐安国寺設置年代考 ~南北朝時代の壱岐島情勢と壱岐国守護の視点から~[一支国博物館 河合 恭典]

100ページ
サイズ:170mm×210mm

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